何故「特に」許せないのか、それはこの戦争が「民主的決定に基づかない」「先制攻撃」だからである。
しかし、ひとたび戦争に突入してしまった以上、出来るだけ少ない犠牲で短期間に作戦が成功することを願うしかないというのが現実かもしれない。こうなったら(身をすくめて火の粉をかぶらずに済むことを願いつつ)一気に北朝鮮も『民主化』してもらった方が世界や日本の平和のためには良い、という声も聞こえて来る。
だが、石油も無く軍事的政治的背景も異なる北朝鮮を、アメリカが直ちに都合よく『民主化』してくれる、またそれが可能であるとは考えにくいというのが大方の見方である。
よしんば、首尾よくイラクと北朝鮮が最小限の犠牲で短期間に『民主化』されたとしても、結果オーライと喜んでいる場合ではない。
イラクや北朝鮮を『民主化』しても、紛争地域やテロ組織は無くならない。アメリカは独断的に先制攻撃を行うことで、すべての国家や組織に、逆に先制攻撃に走らせる理由と動機を与えてしまった。アメリカに敵視された国家や組織は、国際世論に期待することも、攻撃を仕掛けない限り攻撃を受けないと期待することも出来なくなってしまったからである。今や全世界はアメリカによって軍拡と暴力の連鎖の悪循環に引き込まれようとしているのだ。
そして何よりアメリカ自身こそが、かつてはフセインやビンラディンを自ら支援していたように、自国の都合で恣意的に敵味方を判断し、国益のために大量破壊兵器を振りかざす、史上最大最悪の人類に対する脅威となりつつあるのだ。
国連での各国の反対を無視して攻撃が開始されてしまった現在、反戦世論の国際的な高まりで開戦を止めようというモチベーションは失われてしまった。始まってしまった以上、支持するしかないという諦めムードが一部にあるのも事実だ。しかし、問題はイラクや北朝鮮だけではない。21世紀の世界をどう描いていくかという問題だ。
オノ・ヨーコは「自分自身が平和でいることで、あなたはすでに平和な世界の一部になっているのです。」と書いている。我々はイラク攻撃開始を阻止することは出来なかった。それでもだからこそ、まず一人一人がそんな等身大の平和を守ること、想い描き続けることが、今こそ求められているのではないだろうか。
(2003/03/23)
(注1)
(注2)
(文中敬称略・リンク先の情報はいずれも2003/3/23現在)
オノ・ヨーコ ジョン・レノンに捧げるピース・イベント、坂本龍一sitesakamoto
TAKURO(GLAY)は意見広告を出し、藤原紀香はホームページの3月20日の日記(会員限定)で「本当に胸が痛くて息が苦しいです・・・」「STOP THE WAR !!!」と、宇多田ひかるはホームページのMessage from Hikkiで、3月20日と21日に「正しい戦争なんて無い。」「1人でも多くの人が戦争について考えるきっかけになることを願って」とメッセージを書き込んでいる。中田英寿は、ホームページに「反戦のメッセージを載せたい」との趣旨でイタリア語で「Amore」(Love)「Pace」(Peace)の文字を掲載している。