これらの中には、人によっては元々当たり前のこともあるでしょうし、全く興味が無かったり物好きにしか思えないこともあるかもしれません。そもそも、都会の人間が地方に住んだり野菜を作ったりすると「田舎暮らし」として、特別なことのように言われ、マスコミにもてはやされたりもしますが、地元の人にとっては、それはごく普通の生活に他なりません。
しかし、都会にいた頃の私にとってこれらは、確かに夢であり憧れでした。特に、まだ会社へ通勤していた頃は、仕事に追われ、家はその疲れを取る場所でしかなかったように思われますし、野菜もスーパーで買えばまだ良い方で、刻まれてパックに収まったサラダとしてコンビニエンスストアで買うことも少なくありませんでした。会社と、寝場所に過ぎない自宅と、コンビニエンスストアとだけで、ややもすると成り立ってしまう、そんな生活だったような気がします。
それに比べると、今は仕事に追われていても、嫌応でも草刈や薪割りはしなければなりませんし、そうして体を動かしながら夕焼けに目を奪われたり、部落の活動に参加したり、移住者仲間とスポーツをしたりと、自然や地域社会の中で暮らしているという実感があります。
また、これらの以前から憧れていた夢の他にも、例えばフォルクローレグループに入って人前で演奏したり、草サッカーチームに入ったりなど、思いがけず経験したことや得られたものなどもたくさんありました。 その中で、もっともかけがえの無いものは、さまざまな人との交流が広がり深まったということでした。
移住前、東京周辺の友人と離れなければならないことは、最も残念に思っていたことの一つでしたし、移住してすぐに知り合いが出来るかどうかも不安でした。
しかし、いざ移住してみると、引越したばかりということもあるかもしれませんが、東京周辺の友人も次々と訪ねて来てくれました。日帰りするも良し、泊りがけで来るも良し、というほどよい距離感のせいか、何年も会っていなかった友人が遊びに来てくれたり、家族連れで泊まりに来てくれたりして、むしろ埼玉に居た頃より友人と会う機会も増え、付き合いも深くなった気がします。
また、先輩移住者には、人生をエンジョイすることに長けている人が多く、誰かと知り合いになると、その人を通じて色々な遊び仲間とまた出会うなどして、移住者仲間の知り合いもどんどん増えました。
さらに、部落に入ったことで、地域のことをいろいろ教わりながら、同世代の人と飲んで騒いだり、行事などを通して世代を超えたお付き合いをさせて頂いたりもしています。
この土地に移ると決めた当初は、思い描いていた理想とのギャップも多少あり、気持ちの迷いを感じたこともありましたが、こうして人の輪の出来た今では、この地域、そしてこの部落に移住出来て本当に幸運だったと思っています。
これからまた、どんなことが起こるか分かりませんし、いろいろ困難なことに突き当たるかもしれません。将来のことも、実を言うと不安でいっぱいです。
また、こうして自分たちのわがままで移住することで、多くの人に迷惑を掛けて来ましたし、今も掛けていると思います。
しかし、移住してからこれまでの生活は、私にとってそれ以前の生活とは比べようも無く充実しており、回り道をしていたかもしれないそれまでの人生も、逆に結果としてここへ辿り着けたのだから間違っていなかったのだ、とさえ思えるほどです。
新しい生活は、まだ始まったばかりです。この移住という選択の本当の結果が出るのは、もっとずっと先のことかもしれません。
しかし、今、私はこうして新たな一歩を踏み出せたということに満足しています。
そして、これまでお世話になった方々に本当に感謝しています。
(SOHOCO顛末記 完)
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