しかし、大きな決断には不安も伴うものです。特に不動産の場合、非常に大きな買い物であるにもかかわらず、同じ物件は二つと無いため、ほとんど即断で決めなければならないのでなおさらです。実際、私達がそれまでに見た物件でも、比較的良いと感じた物件は、次に現地を訪れた頃には既に買い手が付いているという場合が何度かありましたので、気に入った以上その日のうちに申し込みをするということは必要と思われましたし、そのときは確信を持ってこの決断をしたつもりだったのですが、その確信は帰途早くも揺らぎ始めました。
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しかし、森や林の中に住みたいという場合でしたら、自分の購入する物件とその周囲のごく限られた範囲が、望むような環境であれば良い訳ですが、私のように眺望の良い開けた場所に土地を求めるという場合、見渡す限りの土地を買い占められる訳ではありませんので、目障りなものがまったく無い場所を望むことは非常に困難です。それに、たとえば目の前に「農振」がかかっていて宅地にはできない田園地帯が広がっている土地を気に入って移住しても、ある日巨大なハウス群がそこに立ち並んでしまうという場合だってあります。
また、この頃には、限られた予算ですべての希望を適えようというのは困難だということも分かり始めていましたし、この自然豊かな地域に移住するということさえ果たせば、何も自分の家の周りにすべての望むものが凝縮している必要は無い、という風にも思えました。
私自身そうですが、田舎暮らしを望む多くの人は、自然環境の恵まれた土地で、出来るだけ無農薬無添加のものを食べ、健康な暮らしをしたいと考えています。 しかし、私達は、リタイア後の第二の人生を田舎で悠々自適に過ごすというのではありません。生活のこともありますし、自分だけ汚染された町から逃れたり、安全な食品を求めたり環境を破壊しないことにばかり神経を尖らせるのではなく、この時代に生きる社会人として、汚れた空気を吸い、汚れた水や食べ物を口にしながら、また時には環境も破壊しながら、自分や家族や世の中がわずかでもいい方向へ変わればと願いながら生活する、という心の持ちようも大切なのではないか、とも考えました。
私達の出会った土地は、二人ともとても気に入った素晴らしい土地ですが、決して理想の田舎ではありませんでした。むしろ日本中どこにでもある現実の田舎と言った方が良いかもしれません。
しかし、自分への言い訳かもしれませんが、最初から理想の土地を求めるのではなく、生活する上でも現実的な土地に住まいながら、そこを理想に近づけていくということも、意義のあることですし、またそれはそれで楽しくもあります。たまたま結果的にそうなっただけですが、田舎へ移住するにあたって、森の木を一本も倒すことなく、むしろ自分で何も無い土地に木を植える立場になったというのは、何より良かったのでは、そんな風に私は考えました。
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