建物の施工に携わって下さったのは、私達が契約した建築家さんご本人と、その仲間で同じようにフリーで建築やアートの仕事をしている方たちでした。皆さんやはり近辺に移住して来た方たちで、私と年代もだいたい同じで話も合いましたし、何より皆さんがまるで一つの作品を作るように、私達の家を出来るだけ良いものにしようと努めて下さっていることが伝わってきましたので、すぐに信頼感が生まれ、いつのまにか、元々の知り合いに自宅の建築を頼んだような気持ちになっていました。
住宅を建てるうえで、何と言っても最大の不安は、手抜き工事の結果欠陥住宅に住むはめにならないだろうか、ということだと思いますが、そのような不安を感じたり、自分の家を疑いの目でチェックしたりせずに済んだということは、幸せなことでした。
名の通った住宅メーカーなどではなく、フリーの建築家さんに一生の買い物をお願いするということは、正直言って当初不安が全く無かったというと嘘になります。しかし、下請けや孫請けが施工にあたるのではなく、私達自身が直接会って信頼し、お互いに納得いく予算でお願いした方ご本人に、責任を持って施工して頂けたということで、結果的に本当に良かったと感じました。
鉢植えの植物が、ちょっと世話を怠っただけで枯れていくのばかりを見てきた私にとっては、水やりもしない野菜が自然と大きくなるのは不思議でしたし、生ごみからでも勝手に生えてくるようなジャガイモも、苦労してたくさんタネイモを植えたのに一つも芽を出さなかったらどうしようと本気で心配でした。
さらには、種をまく時に、とうもろこしの種は確かにあのとうもろこしの粒だし、きゅうりの種は、やっぱり細長い、きゅうりを食べているときに入っているあの種だ、なんてことにも改めて感心してしまいます。
植物というものは、放っておいても、自然と芽吹き、花を咲かせ、実を結ぶというサイクルを繰り返すという当たり前のことが、特にことさら野菜に関しては、実感として全く結び付かなくなっているという自分自身の滑稽さこそが、最大の発見であったと言えるかもしれません。
季節が春から夏へと移るにつれ、借家には迷い蛍が訪れたり、オオムラサキがさっそうと庭先を横切ったりして、私達を楽しませてくれていましたが、仮住いという落ち着かなさもあり、建物の完成が近づくにつれて、早く新居で生活したいという気持ちは、次第に強くなっていきました。