もっとも、当時それはまだ明確に目指しているといったものではなく、頭の片隅で「あわよくば」と考えている程度のもので、ソフト開発の仕事を選んだのも、そういうこととはほとんど無関係の理由だったという方が正確です。
私のカミさんの場合、元々地方の出身で、田舎が嫌で都会へ出てきたという訳でもなく、また都会の狭苦しい住宅事情には馴染めないものを感じていたようで、田舎暮らしの話には最初から積極的でした。
従って、私から田舎暮らしの夢を語ったり説得したりするまでもなく、二人の間では、土地の安い地方に広くて伸び伸びと暮らせる家を建てる、という共通の夢が次第にふくらんでいきました。
この会社は、私がそれ以前にいた会社の先輩方が独立して起こした会社で、当時、在宅勤務をしている社員こそいませんでしたが、フレックスタイム制でスーツの着用も不要、タイムカードも無く、個々の社員が完全な自己責任で仕事をこなしている、そういう会社でした。
実は、私は入社する時社長に、将来在宅勤務制度の導入なども考えているか尋ねたのですが、その時の答えは「考えていない」ということでした。
この頃は、まだ私自身も絶対に田舎暮らしをするというほどの決意は無く、いざどうしてもと思い詰めた時にはフリーランスになる手もあるさ、くらいに考えており、埼玉の上尾から東京の石神井に通勤する生活が始まりました。